資産無しのリタイア生活 in 福岡

~20代男が綴る「現代清貧論」~

第39記事 ★ 『自分が楽しむ』=『相手を楽しませる』の法則

私は学生時代にドイツへ1年間留学していたことがあります。

その時に学んだことの1つが、「自分が楽しむことの大切さ」でした!

 

 

2人の先生の授業を比較

 

当時の私のドイツ語力は、

「日常生活ならOK」というレベルでした。

なのでドイツ語で行われている講義を受けても、

ほぼ何を言っているか理解できない状態でした。

 

教育について興味があった私は、

理解できないとは分かりつつも、

好奇心から2つの教育学の講義を受講しました。

 

講義室の扉と中。
重厚な雰囲気で、「これがヨーロッパか…」と感動しました!

 

一方は全然面白くない

その講義は年配の男性教員が担当していました。

講義内容が理解できないことを差し引いても、

それはそれはツマラナイものでした。

 

なんかボソボソしゃべってるだけだし、

映し出されるスライドには、びっしりと文字が書かれています。

この人は何を伝えたいのかさっぱり分かりません。

 

下衆の勘繰りですが、スライドの内容だって、

ずっと同じものを使っているのではないかと思いました。

 

講義中はパソコンばっかり見ています。

顔を上げて学生の様子を確認するなんていう選択肢はないのでしょう。

ただただ原稿を読み上げるロボットみたいな感じです。

 

驚いたのは、講義が始まった時にいた位置から全く離れないことです。

そこにずっと立っているだけです。

 

講義を聴いている学生側もどんよりとした雰囲気になって、

質問する学生は皆無です。

 

私が他の講義にも参加して理解していた学生の特徴は、

とても”アクティブ”というものでした。

講義中の学生は先生の発言に疑問を持てばスッと手を挙げます。

そして先生がその学生を指名するまで、その人はずっと挙げたままです。

日本の大学のスタイルとは全然違うな~と思って感銘を受けました。

 

そんなアクティブな学生たちでさえ全然質問しないのがこの講義。

ただただ不毛に時間が流れていくのを感じていました。

 

片一方は何言ってるか分からないけど、見ていて面白かった!

この講義を担当するのは結構若い男性の先生。

見た目的に30~40代って感じでした。

イタリア人ぽくて、イタリア訛りのドイツ語?を話しており、

(巻き舌がすごかったのでイタリアの雰囲気を感じた笑)

着ているスーツがオシャレな感じで流石だなと思っていました!

 

講義中は何言ってるのかさっぱり分からないんですけど、

その先生を見ているだけで面白いんです!

 

「今こういうことが問題になっているけど、

 

君はどう思う!?」ってな感じで学生たちに語りかけます!

 

まさにこんな感じです!表情は笑顔ですけど😄

 

パワポのスライドは写真が大きく貼られていて、

そこに説明文が数行くらいでちょろちょろっと書かれているだけです。

これだとドイツ語が理解できない私でも内容がイメージできます。

 

先生は教壇を離れ、右へ左へと歩きながら、

講義室全体の学生とコミュニケーションを図ります!

学生たちは次々と手を挙げて自分の意見を堂々と述べていきます。

先生は一つ一つの発言をしっかりと受け止めながら、講義を進めます。

 

時々ジョークも話すのでしょう。

内容は分かりませんでしたが、

学生が一斉に笑う時が何度もありました。

 

教壇に腰掛けて足を組みながら、

「なるほど、そういう意見もあるね。

前列の君はどう思うんだい!?」と言う姿が

めっちゃカッコよかったです!笑

 

講義が終われば学生たちがノートを持って、

先生のもとへ集まっています。

学生たちから信頼される素敵な先生だなと思いました。

 

からしてみれば、

講義を聴いているというよりも、

先生が主演の”エンターテイメント”を見ている感覚でした。

 

言葉が伝わらなくても先生が私をエンターテインできたのは、

先生が「教育を愛し、楽しんでいるという姿」を見せてくれたからだと思います。

 

私が留学しようと思ったきっかけ

 

そもそも私が留学したいなと思った最初の動機は、

留学を楽しそうに語る英語の先生でした。

 

「留学は素晴らしい、留学中に~をした、人生が変わった、~を見た、~を食べた、~に出合った、~な体験をした、~へ行った」って、

 

授業の度に何度も楽しそうに言うんです。

 

それを聞いていくうちに洗脳みたいな感じで、

「あの先生があんなに楽しそうなんだから、自分もいつか留学したいな」と

ぼんやりと自分の中に留学が入ってきました。

 

教員免許 ≠ 先生

教育をかじった程度の私ですが、

先生とは教員免許を持てばなれるものではなくて、

生徒から「この人は先生」だと認められることでなれるものだと思っています。

 

だからこそ、たとえ教員免許を持っていなくても、

生徒が「この人から学びたい、この人は先生だ」と思えば、

その人は生徒にとって”先生”です。

 

前述したツマラナイ講義をした先生は、

確かに大学の先生であるかもしれませんが、

僕にとって「先生」ではありませんでした。

講義内容以前にその人の形式(スタイル)に疑問を持ったからです。

 

その道を教える者であるならば、

聞く人全員をその道に引きずり込んでやろうという気概を持って、

「その道を歩んで得た結果」を楽しく語ってほしいものです。

 

おわりに:内容ではなく「形式」ならば全員を納得させられる!?

 

この記事で、全員を納得させる難しさを描いた画像を貼りました。

授業を例としても、聞き手の学生は、

「理系科目が好き」「文系科目が好き」と千差万別なので、

内容だけで全員を楽しませるの難しいと思います。

 

だからこそやっぱり僕は、

「まず先生が楽しんで授業すること」が大切だと思います。

 

そしたら聞き手は、

「俺はこの科目嫌いなのに、先生は楽しそうだな。なんでだ?」という風に

その科目に興味を持つきっかけになるかもしれないからです。

少なくとも、楽しんでいる人を見るのはつまらなくないので、

その授業の時間は無意味な物になることはありません。

 

まず自分が楽しむことでやっと、

周りの人たちを楽しませることができる。

 

そんなことを学んだ私の留学でありました。

 

以上です。

ここまで読んで頂きどうもありがとうございました!

 

それでは、adieu!